松本本町の歴史

天正13年(1585年)甲斐の武田氏が亡んだのち、松本に入った小笠原氏は、城下町の建設に着手し、町割りをさだめました。この時、お城の大手門の真南に道がひらかれ、本町ができました。以来本町通 りは、松本の主要な街路として発展して来ました。

江戸時代には、本町の西側には有力な町人達が軒をつらね、善光寺道、野麦街道の分岐点、交通 の要衝として繁栄していました。
嘉永2年(1826年)に出版された善光寺道名所図会には、 「城下の町広く、商家軒をならべ、当国 (信濃国)第一の都会にて、信府と称す。牛馬の荷物一日に千駄つけ入りて、また千駄 つけ送るとぞ。実に 「繁昌の地なり。」 と紹介されています。


善光寺道名所図会[(株)名著出版]より

明治時代になってからも、本町は、この地域の商品流通 をになう屋街として栄え、呉服・麻・足袋・紙・魚などを扱う大店がいらかを競いあっていました。道の両側は黒壁の土蔵づくりの店舗や洋館が並び、電灯がつき、人や車が走りまわる町になりました。


明治時代の松本市本町通り

大正時代には、本町の中程に日本銀行松本支店が設置され、松本は長野県の金融・経済の中心地になって行きました。町には地元の銀行はもとより、大手市中銀行の支店が並び、本町は商都松本の中心街として不動の地位を占めるようになり、その繁栄は昭和20年代まで続きました。


大正時代の本町通り日本銀行支店付近

昭和30年代に入って全国的に車が普及してくると、商品の運搬は鉄道から トラック便に変わり大量輸送とマイカー時代の幕があき始めました。本町からは大きな問屋が、広い場所と交通 の便を求めて、つぎつぎと郊外へ移転して行きました。
昭和38年~41年にかけて本町は、車社会に対応できる街を目指して、道路幅員の拡幅と店舗の不燃化に取り組み、昭和57年にはアーケードと御影石の歩道を備えた、近代的な小売商店街に整備されました。

平成13年度完成予定で進められている、区画整理事業によって、 現在の本町商店街は毎日その姿を変えています。町では市の公共事業に協力して、折角造ったアーケードですが、これを一旦撤去し、家並みを修景して、松本市の歴史や風土に合った商店街 ーアルプロマン松本ほんまちーを目指して日々努力しています。


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